松栄寿しの礎を築いた「豊田品次」
ブランド名でもある「豊田品次」という人物は第二次世界大戦に出征し、軍の炊事係を担当していました。 苦しい戦時にあっても料理が好きで、食べる人の笑顔を見ることに喜びを感じ、「戦争が終わって長野に帰ったら料理の仕事がしたい」 と考えていました。
終戦後、その夢を叶えるべく、品次は単身上京。「目の前で食べている人の笑顔が見える仕事は鮨屋しかない」と、繁盛している寿司屋を見つけ弟子入り。 長年にわたり修行し、江戸前鮨の技術を習得しました。 そして結婚を機に独立。 当初は屋台から始めた店も徐々に評判を呼び、池袋に「錦鮨」という店舗をもつことができました。 店も年々大きくなり、そこで多くの弟子を育てながら、故郷である長野県の軽井沢や上山田にも出店をはたします。 そして、海のない長野でも美味しいお寿司を提供したいという思いは更に強くなりました。
松栄寿し1号店を出店させた松澤英雄
今から60年ほど前、品次の甥「松澤英雄」が品次の弟子と共に長野市若穂で寿司屋を開きました。これが松栄寿しの始まりです。「 松栄寿し」という名前の由来は「松澤家が栄えるように」という願いから名付けられました。
親の力を借りて店を立ち上げたものの、英雄は寿司屋での修行経験がなく何もできませんでした。その時に江戸前寿司の技術を伝来したのが叔父の豊田品次の弟子でした。 開店から1年間、英雄は経営を続けながら、寿司屋としての技術や立ち振る舞いを必死に学び、習得しました。 そして次第にお客様からも受け入れられるようになりました。 品次の「美味しい料理を届けたい」という思いからはじまった精神は弟子、英雄、そして現在は暖簾分けを含めると日詰店、東口店、東急店、須坂店、上田店、石渡店、中野店の7店舗まで広がった「松栄寿司」として進化を遂げています。 そして、その受け継がれた精神と技術がさらに進化し、松栄寿司は新たな段階へ。